かってな語学日記

日本語、外国語、言語学、文字、その他いろいろな語学のこと

スラヴ語動詞の構造 第1課 動詞の基本的な構造について

はじめに

 作業が一区切りしたので、これから「スラヴ語動詞の構造」記事を本格的に書いていく。内容は、原求作『ロシア語動詞の構造』(水声社, 2001)を参考に、スラヴ語族に属する諸言語(=スラヴ語)の動詞の構造を比較していくというもの。対象言語はロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語、ポーランド語、チェコ語、スロヴァキア語、スロヴェニア語、セルビア語、クロアチア語、古代教会スラヴ語の10言語。

 どんな言語にも不規則動詞というものが多かれ少なかれ存在する。英語のgo「行く」の過去形がwentになったりするように、ロシア語のидти{idti}「行く」の過去形がшёл{šël}になるとか、スロヴェニア語に至ってはiti「行く」の現在形がgrem、過去形がšelになるなど、スラヴ語にも「どうしてこうなった」と言わんばかりの厄介な動詞がたくさんある。そういう動詞が実はこういう構造になっている…というのを分かりやすく説明してくれるのが『ロシア語動詞の構造』で、それをスロヴェニア語とかほかのスラヴ語と比較しながら見て行ったらすごく面白いんじゃないか、と思ったのが最初の動機だった。実際にやってみたら、いろいろなことが見えてきて面白かったし、分からないこともいっぱい増えた。これから書く記事は要するにその記録である。

 『ロシア語動詞の構造』の構成は、第1課は動詞の基本的な構造、第2課は不定形に基づく分類、第3課は現在形の語尾、第4課は不定形と現在形の関係、第5課は不定形語幹から作られる形態(過去形など)、第6課は現在形語幹から作られる形態(命令形など)、第7課はどの分類にも属さない一部の不規則動詞について、そして補説は第1課~第7課までの内容を補うものになっている。基本的にはこの構成に従って、順番にやっていくことにする。今回はこの「はじめに」と割と短く書けそうな「第1課」を書いて、第2課以降は長くなるので、いくつかの記事に分けて書く。変なところで分かれたりするかもしれないけど、あとで目次を作ったり工夫はするつもりなのでご容赦を。

翻字について

 必要に応じてキリル文字にはラテン文字の翻字を付けることにする。翻字方法は三谷惠子『スラヴ語入門』で使われているものが分かりやすいのでこれを採用。古代教会スラヴ語に関しては、木村彰一『古代教会スラブ語入門(新装版)』の標準化正書法に基づいて、最初からラテン文字に翻字して書く。翻字をするときは、идти{idti}のようにキリル文字{ラテン文字}と表記する。

 自分用の芽もにはいちいち翻字は付けないのだけど、ブログだと誰が読むか分からないのであったほうがいいかなと。その一方で、動詞の構造さえ分かってもらえればOKだし、翻字で読めない文字のイメージを伝えるのにも限界があるので、ときには翻字を省略することもあるかもしれない。実を言うとこの辺り自分でもどうするか決めかねているので、書いているうちに方針が変わるかも。

第1課 動詞の基本的な構造について

 ではでは第1課から。ロシア語の動詞の構造は、ほぼそのままスラヴ語の動詞の構造にも当てはまる。不定形や現在形など変化形を問わず基本的には、次のような構造で作られている。

語根+テーマ音+語尾

 語根は基本的な意味を表す要素で、ここにテーマ音を挟んで、不定形なら不定形の語尾、現在形なら現在形の語尾、過去形なら過去形の語尾を付ける。テーマ音がなく、語根に直接語尾を付けることもある。スロヴェニア語を例にとると、

(1) nes-ti
(2) kup-i-ti

 (1)のnesti「運ぶ」はテーマ音を持たず、語根に直接語尾を付けるタイプ。一方、(2)のkupiti「買う」は語根kupと語尾tiの間にテーマ音iが入る。テーマ音にはa, e, iなどのいくつかの種類があって、語根とテーマ音の組み合わせ方も言語によって微妙に違う。例えばロシア語のжить{žit'}「暮らす」はživ-tiという構造でテーマ音を持たないけれど、スロヴェニア語のživeti「暮らす」はživ-e-tiという構造でテーマ音eを持っている、など。

 このživ-tiという構造が実際にはжить{žit'}となっているように、動詞が見たままの構造をしているとは限らない。『ロシア語動詞の構造』では、živ-tiのように表に現れない構造を深層構造、жить{žit'}のように実際に見える形を表層構造と呼んで区別している。この深層構造を調べていくのが面白い。一見不規則動詞に見えるものも、深層構造を見てみると規則的な変化だったりする。その辺り具体的にどういうことかというのは、これ以降の記事でたっぷりと…。

 あくまで一例にすぎないけれど、対象10言語それぞれについて(1)テーマ音を持たないタイプと、(2)テーマ音を持つタイプの例を挙げておく。

(1)テーマ音を持たないタイプ
ロシア語 нес-ти
ウクライナ нес-ти
ベラルーシ нес-ці
ポーランド nieś-ć
チェコ語 nés-t
スロヴァキア語 nies
スロヴェニア nes-ti
セルビア трес-ти
クロアチア語 tres-ti
古代教会スラヴ語 nes-ti
(2)テーマ音を持つタイプ
ロシア語 куп-и-ть
ウクライナ куп-и-ти
ベラルーシ куп-і-ці
ポーランド kup-i-ć
チェコ語 koup-i-t
スロヴァキア語 kúp-i-ť
スロヴェニア kup-i-ti
セルビア куп-и-ти
クロアチア語 kup-i-ti
古代教会スラヴ語 ljub-i-ti

 (1)の表はセルビア語/クロアチア語のтрести/tresti「揺れる」を除いて、すべて同じ語根から作られているし、(2)の表も古代教会スラヴ語のljubiti「愛する」を除いて語根(およびテーマ音も)すべて同じである。こんな感じで、同じ語根に同じテーマ音を付けた動詞がよくあるので、『ロシア語動詞の構造』の方法論がロシア語以外のスラヴ語にも通用する。そしてときどき、語根は共通しているのに、テーマ音の有無や種類が違う動詞があったりするからなお面白いし、とても比較し甲斐がある。

 ところで、これらはすべて不定形である。『ロシア語動詞の構造』の第2課では、ここでいう(1)テーマ音を持たないタイプをA、(2)テーマ音を持つタイプをBとして、不定形を2つのグループに分類している。

第2課 不定形の分類 (1)につづく)