かってな語学日記

日本語、外国語、言語学、文字、その他いろいろな語学のこと

スラヴ語動詞の構造 第2課 不定形の分類 (1)

第1課 動詞の基本的な構造についてのつづき)

第2課 不定形の分類

 不定形の深層構造に基づいて動詞を分類していく。第1課でも少し説明したように、動詞の不定形にはテーマ音を持つものと、持たないものがある。ここではテーマ音を持つかどうかによって、動詞を大きく二つのグループに分ける。以下の二つはスロヴェニア語の例。

(1) nes-ti
(2) kup-i-ti

 『ロシア語動詞の構造』では(1)のようなテーマ音を持たないタイプをAグループ、(2)のようなテーマ音を持つタイプをBグループとして分類している。またAグループは語根がどういう音で終わるかによって、Bグループはテーマ音が何であるかによって、さらに細かく分けられる。こんな感じで、『ロシア語動詞の構造』の分類を、ロシア語以外のスラヴ語にも適用していく。

 そして細かい分類ごとに、表層構造と深層構造の間でどういう違いがあるかを調べる。上のnestiとkupitiの場合、表層構造と深層構造が変わらないので分かりやすい。しかし中には表層構造と深層構造がかなり異なるものもある。この表層構造と深層構造の関係は言語ごとに違ったり、同じだったりするので、比較するとすごく面白い。

 

 

注意書き

 『ロシア語動詞の分類』から少し変えたところがあるので、その都度、どう変えたのか説明を加えることにする。そういう訳で、A1やB2などの分類番号は必ずしも『ロシア語動詞の分類』と同じではないことに注意。

 以下、表中では左から順に言語名 表層構造 深層構造となっている。簡単に言うと、表層構造が元はこんな形だった、ということを深層構造が表している。しかし深層構造は"こんな構造をしていただろう"と考えられるだけで、実際に存在したかどうかは分からない形なので、言語学の慣習に従ってアステリスク (*) を付ける。

 間に入っているハイフン (-) は語の構造的な切れ目を示す。そのうち最も基本になる語根を太字で示すことにする。語根より前にあるのは接頭辞、後にあるのは1つなら不定形語尾、2つならテーマ音-不定形語尾である。接頭辞も含めて深層構造を示すとなると、ますますそういう形が存在したか疑わしくなってくる。動詞が表層構造のような形に"変化した"あとで接頭辞が付いたかもしれない。しかしここでは細かいことは気にせず、接頭辞も含めて深層構造を示すことにする。

 翻字は {} の中に書く。キリル文字が読めない場合は {} の中の翻字を見比べると良い。またスラッシュ (/)を使ってキリル文字/ラテン文字のように書いたり、あるいはセルビア語とクロアチア語の場合のみ、セルビア語/クロアチア語のように書くこともある。何にせよ/を使う場合は常に左側がキリル文字、右側がラテン文字である。

 構造を示すのが目的なので、語の意味までは書かない。

 

A1 語根がsまたはzで終わるグループ

 このグループは、深層構造で語根末にsまたはzがある。

ロシア語 нес-ти {nes-ti} < *nes-ti
вез-ти {vez-ti} < *vez-ti
ウクライナ нес-ти {nes-ty} < *nes-ti
вез-ти {vez-ty} < *vez-ti
ベラルーシ нес-ці {nes-ci} < *nes-ti
вез-ці {vez-ci} < *vez-ti
チェコ語 nés-t < *nes-ti
véz-t < *vez-ti
スロヴァキア語 nies < *nes-ti
viez < *vez-ti

 ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語、チェコ語、スロヴァキア語では、表層構造と深層構造で、s, zに変化はなし。

ポーランド nieś < *nes-ti
wieź < *vez-ti

 ポーランド語では語根末のs, zが、不定形語尾ćに同化してś, źに変化する。ćは硬口蓋音、一方s, zは歯音なので、発音しやすいようにs, zがćと同じ硬口蓋音ś, źへと変わる。

 深層構造ではs, zだということは、例えば現在形を見ると分かりやすい。現在形ではあとにćが続かないので、この変化が起こらずs, zのままだからである。例としてnieść, wieźćの不定形および現在1人称単数形を挙げると以下のようになる。

nieś-ć, nios

wieź-ć, wioz

 

スロヴェニア tres-ti < *tręs-ti
gris-ti < *gryz-ti
セルビア трес-ти {tres-ti} < *tręs-ti
грис-ти {gris-ti} < *gryz-ti
クロアチア語 tres-ti < *tręs-ti
gris-ti < *gryz-ti
古代教会スラヴ語 nes-ti < *nes-ti
ves-ti < *vez-ti

 スロヴェニア語、セルビア語、クロアチア語、古代教会スラヴ語では、zが不定形語尾tの前で無声化し、sとなる。ロシア語、ベラルーシ語、ポーランド語、チェコ語、スロヴァキア語でも無声化は起こるけれど、綴りには反映されない。

 ポーランド語の例と同じように、現在形では後ろにtが続かないためこの変化が起きず、一見変わった変化をしているように見える。参考までに、スロヴェニア語gristiと、古代教会スラヴ語vestiの不定形および現在1人称単数形を挙げておく。

gris-ti, griz-em

ves-ti, vez

 

 セルビア語のдонети {doneti}、クロアチア語のdonijetiは、意味と語形から考えて、*nestiに接頭辞*doが付いて出来た動詞で、このA1グループに属すると思われる。しかし不思議なことに、この2語は不定形で語根末のsが脱落してしまう。元からこういう形をしているのではなく、語根にsを持っていることは、やはり現在形を見ると分かる。例として、それぞれの不定形、現在1人称単数、2人称単数形を挙げる。

до-не-ти, до-нес-ем, до-нес-еш

do-nije-ti, do-nes-em, do-nes-eš

 百瀬亮司『セルビア語読解入門』を見る限り、ほかにも同じタイプの動詞がいくつかあり、いずれも*nestiに接頭辞が付いて出来たと思われる。ロシア語のдонести {donesti}や、ポーランド語のprzynieśćなど、*nestiに接頭辞が付いた動詞はほかの言語にもあるのだけど、不定形でsが脱落するタイプはセルビア語、クロアチア語のほかに見たことはない。接頭辞が付いたことが原因なのか、ほかに何か理由があるのか……。

 

A2 語根がtまたはdで終わるグループ

 このグループは、深層構造で語根末にtまたはdがある。

ロシア語 плес-ти {ples-ti} < *plet-ti
вес-ти {ves-ti} < *ved-ti
ウクライナ плес-ти {ples-ti} < *plet-ti
вес-ти {ves-ty} < *ved-ti
ベラルーシ плес-ці {ples-ci} < *plet-ti
вес-ці {ves-ci} < *ved-ti
チェコ語 plés-t < *plet-ti
vés-t < *ved-ti
スロヴァキア語 plies < *plet-ti
vies < *ved-ti
スロヴェニア ples-ti < *plet-ti
ses-ti < *sѣd-ti
セルビア плес-ти {ples-ti} < *plet-ti
до-вес-ти {do-ves-ti} < *do-ved-ti
クロアチア語 ples-ti < *plet-ti
do-ves-ti < *do-ved-ti
古代教会スラヴ語 ples-ti < *plet-ti
ves-ti < *ved-ti

 ttあるいはdtという子音連続になるのを避けて、異化という現象が起こる。前のt, dがsに変わり、結果的にA1グループと似たような感じになる。

ポーランド pleś < *plet-ti
wieś < *ved-ti

 ポーランド語でも同じ現象が起こり、t, dがsに変わる。そしてその後A1グループと同じ変化が起こり、sがćに同化してśに変化する。A1の場合と同じように、現在形を見ると、実はtあるいはdを持っているということがよく分かる。参考までに不定形と現在1人称単数形を挙げる。

pleś-ć, plot
wieś-ć, wiod

 不定形ではs, zに変わってしまったt, dが現在形では変わらずに残っている、というのは、ポーランド語以外の言語でも同じ。現在形については後々また触れることになるし、全部挙げると記事が無駄に長くなるだけなので、ここでは省く。詳しくはあとで。

 

 さて、A2グループにもちょっとした例外がある。「行く」という意味の動詞で、どのスラヴ語でも似たような形をしている。語根末にdがあるのでA2グループに属することは確かだけど、その先の変化が少し特殊なので別にまとめておく。なお、すべて深層構造は*id-tiである。

ロシア語 ид-ти {id-ti}

 ロシア語では不定形でdがそのまま残る。本来ならисти {isti}となるはずである。

ウクライナ и-ти {y-ty}
チェコ語 -t
スロヴェニア i-ti
古代教会スラヴ語 i-ti

 ウクライナ語、チェコ語スロヴェニア語、古代教会スラヴ語ではdが脱落する。これも本来のA2グループの変化とは異なっている。

ベラルーシ іс-ці {is-ci}
ポーランド
スロヴァキア語 ís

 ベラルーシ語、ポーランド語、スロヴァキア語は本来のA2グループと同じ変化をする。すなわち、ベラルーシ語とスロヴァキア語ではdがsに変わり、ポーランド語ではさらにsがśに変わる。

セルビア ић-и {-i}
クロアチア語 -i

 セルビア語、クロアチア語では*dtがćに変わるという、ほかのどれとも違う変化が起こる。ここに現れるћ/ćという音は、たぶん次の次くらいの記事で触れることになる、*kt+iあるいは*kt+ьという結合で出てくる音。それがなぜだか*dt+iという結合のときにも現れる。なぜだ。

 なぜかはともかくとして、これだけ多様に分かれているのが興味深い。チェコ語とスロヴァキア語ってとても近いのに、どうしてチェコ語ではjítで、スロヴァキア語ではísťなのか? とか、その辺りを説明出来たら良いのだけど、今のところは無理。でもいつかはもっと突っ込んで調べたい。

第2課 不定形の分類 (2)へ続く)